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November 08, 2007

天野可淡はどこへ向かっていたのか?

 可淡人形を観た人の感想は大きく二つに別れる。不気味と感じて敬遠するか、その妖しい魅力の虜になるか。『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』は過去2作以上に、天野可淡の創作の振幅を大きく反映した作品集成である。確かに可淡の人形には、愛玩する為だけのかわいらしい抱き人形の枠には収まらない、影の世界が色濃く横たわっている。彼女は童話に強い親和性をもって接していたが、それは原初の「グリム童話」のような無垢であると同時にグロテスクな想像力を去勢されていない世界としてであった。彼女にとってファンタジーはただ愛らしい夢の世界だけで構成されているものではない。それはもっと残酷で理性によって制御されない人間の欲望が渦巻く不条理な世界でもある。仮に「お人形」という言葉の響きに惑わされて可淡の人形に接すると、その異様な存在感、人形が放つ強い光ゆえに落ちる影の濃さに戸惑い圧倒されてしまうだろう。彼女の人形作品を観て気味が悪いと感じる人が多く存在するのは事実であろう。まさにその美醜の、合理と不合理の、あるいは人間と人形の境界を見据えて創作活動を続けていたのが可淡であるからだ。

 バリエーションとして、近親者の証言から、生前彼女が愛した音楽として、例えばヴァージニア・アストレイがあげられている。それはパストラルで安らぎと「生」の喜びにみち樹々を縫って陽光が振り注いでくるような静謐な森の音楽といえるのだが、他方ベーレン・ゲスリンの『悪魔狂死曲』のように、闇がどこまでも支配し光すらささないような「死」に統べられた暗黒の中世音楽をも彼女は愛していた。ここでは妖精のみならず悪魔と怪物たちが死の影を振りまきながら鬱蒼とした漆黒の森を厳かに行進するのである。

 ところで、天野可淡は果たして人形作家なのか、という問いをこの作品集は問いかけてくる。彼女が人形制作と並行して描き続けた童画、彼女がいくつも作り出した大きなオブジェ作品を目の当たりにする事で押井守氏は、彼女の創作領域の発展性を示唆している。それは晩年の可淡自身の発言のなかにも登場する。「今までの作品をより高い次元で包括出来るような仕事をしていきたい」と。

 『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』によって読者は、『KATAN DOLL』『KATAN DOLL fantasm』に代表される人形世界のさらにその先に歩みだそうとしていた天野可淡を知るはずである。彼女が光と闇の両方の世界を行き来しながら人形を超越したさらに大きなファンタジーを羽ばたかせていたことを。

é.t. : November 8, 2007 03:33 AM

 
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