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September 16, 2005

佐藤明写真集『バロック・アナトミア

 ヨーロッパの古都を巡る佐藤明氏の三冊の写真集『ウィーン幻想』(平凡社、1989)『フィレンツェ』(講談社、1997)『プラハ』(新潮社、2003)は、うっすらと憂いを孕んだ旧世界の旅情の中に文明の爛熟と黄昏をもの静かなタッチで綴った美しく典雅な写真集だ。それにくらべ『バロック・アナトミア』は氏にとってグロッタの世界だけを見つめた異色作のように感じられる。しかしここラ・スペコラにはまちがいなく佐藤氏の不断の写真美学と共鳴しあう被写体が横たわっていたのである。写真集『フィレンツェ』のあとがきの中で、「なぜフィレンツェに魅せられたか」を氏自ら語っている箇所がある。少々長くなるが引用してみよう。「フィレンツェの場合は、ふたつの不思議な時を越えた静寂な世界がこの土地に足を運ばせることになる。ひとつはある博物館に入った時であり、もうひとつはある貴族の館に足を踏み入れた時だった。フィレンツェ通いが本格化したのは、1990年の暑い8月のことで、雑誌の依頼でイタリア美術の特集取材があり、ローマに続いて訪れたのであった。いくつかの撮影リストをこなした後で、あまり予備知識もなく、担当編集者、コーディネーターと撮影に出向いたのが、通称ラ・スペコラ、解剖人形館だった〜味も素気もない動物の標本展示が続いた後で踏み入った部屋には、等身大の美女が妖艶な姿でガラスケースの中に横たわり、ポーズまで取っている。が、その腹部は断ち割られて内臓が引き出されている。分かってはいても、人形とは思えない精巧さ、まるで息をしているようなあどけない表情に引き込まれる。しかも、隔てられた時間の重みがそこにある。時を止めるとよく言うが、あのよどんだ空気と異様な静寂が息を飲むような興奮に誘う。ひょっとすると、この都市を描くことになるのではという予感が、その時に初めてよぎった。」ここを撮影することがフィレンツェという古都の魅惑の謎を解くことにほかならず、さらに「異邦人の女性」あるいは「女性という異界」に魅せられた(盟友奈良原一高氏の言葉)写真家佐藤氏の若き日の作品群を思い起こすと、クローズアップ撮影された解剖鑞人形の少女たちが、にわかに、代表作「冷たいサンセット」(1960)の超然とした、異界として存在するクールな女性たちのイメージと重なりあうようにも思えるのだ。(K)

é.t. : September 16, 2005 03:15 PM

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