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September 30, 2005

バロック・アナトミア』の写真術

佐藤明写真集『バロック・アナトミア』には美しく荘厳な佇まいの鑞人形たちが多数収録されている。しかしその撮影条件は決してめぐまれてはいなかった。当時、博物館側からの要請で様々な制約を受けながら短時間のうちに撮影を完了しなければならなかったのだ。ガラスケースを開けることはもちろん、ストロボ、タングステンランプ、また三脚を使用することも禁じられていた。にもかかわらず数百年の時を経た鑞細工の人形たちが、みごとなコンポジションとライティングで活き活きと捉えられている。残念ながら2002年に他界された佐藤氏にその撮影の詳細をあらためて伺うことはかなわなかったが、身近な方たちからお話を伺ってみると、やはり長年の経験に裏打ちされた卓越した写真術を知ることができた。

 まず、旅先での撮影が多かった佐藤氏は機動性を重視し機材も最小限にとどめていたという。ボディとして比較的軽量のニコンF100。単焦点レンズを何本も携行することはせず、使用頻度の高い28〜35ミリの画角をカバーする広角系のズームを愛用されていたようだ。鑞人形のクローズアップもこの広角系ズームが多用されていたと思われる。

 ラ・スペコラでは高熱を発するハロゲンランプは使用禁止。ストロボも不可。館内のアベイラブルライトはといえば、スポット光と蛍光灯のみだ。紫外線混じりのかなり汚れた照明環境だ。そこでまず蛍光灯だけは落としてもらい、主光源としてスポット光をそのまま、あるいは反射板で利用。また持参の懐中電灯をミニ三脚に固定し、これを補助光また時にはスヌーズとして使い鑞人形の肉体の照り・キャッチライトを作り出していた。蛍光灯を消すことで館全体は光量不足になるが、スポットや懐中電灯が当たった箇所はステージのように浮かび上がりかえってその劇場性を高めている。佐藤氏は光りの悪条件を瞬時に見極めながら効果的な演出方法を考え付いたのだ。

 全体的に館内は暗く、絞りを全開にしてもかなりスローシャッターになることが予想される。そこでコダクロームのタングステン用ASA160または320の高感度フィルムを使用。レンズの明るさをかせぐためにもフィルター類は使わず、館内での使用を許可されていた1脚はかろうじて使うとしてもほとんど手持ちに近い態勢でカメラを構えなければならなかった。直感的に下された構図の選択もすばらしいのだが、厳しい手ぶれとの戦いが想像される。ポジを拝見するにつけそのフォーカス精度は驚嘆すべきだ。対照的に背景のボケや暗さが強調され写真に生々しい立体感を与えている。

 死の匂いを湛えながらエロティックですらある鑞人形たち。臓物にはびっしりと無数の神経繊維がからみつき、血管が内臓を飾り立てるモールのように垂れ下がっている。赤々とした開腹部は、まるでグロテスクなまでに装飾されたメキシコの土着キリスト教の祭壇のようだ。

 これまでラ・スペコラの解剖鑞人形は純医学写真集のようなかたちではヨーロッパで出版され紹介されてきた。しかしながら佐藤明氏の『バロック・アナトミア』によって、表向き医学資料用に作られたとされる鑞人形たちが、紛れもなく荘厳かつアンソリットな観賞用芸術でもあったことが暴かれてしまったのではないだろうか。(K)

é.t. : September 30, 2005 11:33 PM

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